自分という現実を見ずに他者にレッテルを貼るということ

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前回の「他人を気にしながら優越感を得る生き方をするよりも、自分の特性を活かす人生を見つけようぜという話」という記事を、私のネガティブな側面が発現したととらえていらっしゃる方もいるようです。

しかし、それは思い過ごしにすぎないでしょう。

というのも、記事を真面目に読んでいただければ分かるのですが、記事の趣旨は

「私が人が苦手で社会に適応できなかった」

ことではなく、

「他人を気にして、嘲笑や嫉妬をするのをやめようぜ」

ということだからですね。

では、なぜあなたが、文意を全く曲解して、私が「自暴自棄になって意図的に孤立を招いている」と思ってしまったのか推測してみましょうか。

問題はあなたの文意を読み取る能力ではないでしょう。

おそらく、あなたは自分でも正しく文意を理解している自覚はどこかにあるでしょう。

あなたは現実を容易に受け入れられるタイプの人でしょうか?

どこかで現実を受け入れることを恐れていませんか?

現実を受け入れることを怖いと感じていませんか?

「自分の信じたいものを信じたい」という衝動だけで、他人にレッテルを貼ったり、現実を歪曲して受け取ろうとしていませんか?

例えばですね。こういう場面を考えてみましょう。

思い浮かべてください。

今、あなたは男子学生です。

あなたには「好きな女の子」がいます。

その女の子に、あなたは告白することを決めました。

素晴らしい勇気ですね。

意を決してあなたはその子に告白をしました。

すると、あなたは彼女からこう告げられます。

「ごめんなさい。あなたをそういう対象としては見れないの」

どう考えるでしょうか。

①「そっか、ダメか」
②「今はダメでも可能性がある限り、何度でも告白する」
③「彼女がOKできないのは自分ではなく他に理由があるはず」

①は諦めを付けられるだけ素晴らしいですね。

②も彼女を主体にして、彼女に気に入られる努力を続けるのであれば彼女にとっては有害とはならないでしょう。

しかし、③はどうでしょうか。

彼女に恋愛対象として見られなかったことを自分以外の誰かや環境のせいにするでしょうか?

普通はしませんよね。

例としては極端すぎるかもしれませんが、おそらくあなたもそういう人が周りにいれば、ヤバい奴だと思うでしょう。

現実を曲解するというのはそういうことなんですね。

傍から見ると「ヤバイ奴」です。

もしあなたが現実を歪曲して認識してしまう傾向があるのであれば、あなたは自分が他者に嫉妬しているかどうかすらも分からないかもしれません。

他人にレッテルを貼る前に、自分がどういう思考で、どういう行動をとるのかといったことを見直す必要があるでしょう。

少なくとも、私の前回の記事の趣旨は「俺は社会に適応できなかったんだ・・」といった負の感情で衝動的に書いた記事ではなく、むしろ「他者に嫉妬し嘲笑する」ことで優越感を得ているような人を攻撃するためのものといった背景のほうが強いでしょう。

あなたもそう感じませんでしたか?

まずはあなた自身が現実を見てから、他人にレッテルを貼るように努力しましょう。

念のためですが、この記事は「私のブログを見るな」という趣旨ではありませんので、その辺りも曲解されないようご注意ください。

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