タイ・アユタヤを自転車で観光してきました。 【午後の部】

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アユタヤ観光に行ってきました。 【午前の部】 に引き続き、午後の部です。

昼食後は、アユタヤ歴史研究センターから東の方向にある、ワット・スワンダララム・ラジャワラヴィハーンに行きました。

ワット・スワンダララム・ラジャワラヴィハーン

ワット・スワンダララム・ラジャワラヴィハーン

ここは、これまでのお寺では見かけることのなかった白い塔が印象的でした。

王のお墓かと思いましたが、そうでもないようですね。

なぜこういう形状をしているのかが不思議です。

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その後、朝ボートで渡ったパーサック川にかかっている橋を自転車で横断し駅の方向へ戻ります。

次の目的地はワット ヤイ・チャイ・モンコンです。

ワット ヤイ・チャイ・モンコン

ワット ヤイ・チャイ・モンコン

ここは有名なお寺らしく、日本からのツアー観光客の方が多くいました。

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ここに到着してすぐに、本格的に雨が降り出しました。

時間的に天気予報で見ていた、降水確率80%の時間帯かなあと思いつつ雨宿りをすることにしました。

タイの雨は一時的に激しく降って、すぐに収まるということも多いので、とりあえず雨宿りして小雨になったところで行動を再開します。

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中央に大きな塔があり、そこを登れるようになっています。

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写真はいまいちですが、実物はもっと圧倒される存在感があります。

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階段の上には日本語で「スリに注意して」という注意書きがありました。

階段が急ですので、それに気をとられているうちにスられるのかもしれませんね。

私の場合、逆にスリに間違われて警戒されるほうが多いのですが。。

しかし日本語のみの注意書きというのもなかなか考えさせられますね。

階段を登ると仏像がたくさんありました。

ここで催事を執りおこなっていたのでしょうか。

塔の上からの景色です。

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敷地内にはたくさんの仏像があり、他のお寺よりも規模が大きく、当時のままに近い形で仏像などが残されていました。

この仏塔は先のナレスアン王がビルマ軍に勝利したことを記念して建立されたものらしいので、当然と言えば当然ですね。

仏塔の高さも当時ビルマ軍が建てていた仏塔よりも高いものにしたそうです。

いつの時代も建物の高さで国の力を誇示しようとする考え方というのはあるんですね。

分かりやすいですからね。

時間的にも自転車の返却時間が迫っていましたので、雨はまだ小雨で降り続いていましたが、最後の目的地である日本人街へ行くことにしました。

雨ごときに負けるわけにはいかないですからね。

ここで問題が発生したのですが、Google mapに登録していた日本人街の位置が間違っていたために、10分ほど全く違う場所をうろうろしながら時間を無駄にしてしまいました。

Google mapはオフラインでも現在地を表示してもらえるので非常に重宝しているのですが、たまに位置情報が間違ったりするところが惜しいですね。

ネット環境がない以上、正しい位置を調べ直すわけにも行きませんので、最終手段である人に尋ねる作戦を実行しました。

私基本的に人が苦手ですし、人から警戒されやすいのですが、背に腹は変えられないということで人に聞きまくりました。

覚えたてのタイ語を駆使して、

「ムーバーンイープン ティーナイカ」
(日本人街はどこですか?)

を連発しました。

どうでも良いことですが、タイ語で家は「バーン」といいます。私はムーバーンという単語を聞いたことはあったのですが、ムーバーンという1つの単語が「村」を表すことを知らず、英語の標識には「JAPANESE VILLAGE」と書いていることもあり、「ムー」という1つの単語が「村」だと思い、

「ムーイープン ティーナイカ」

と最初は尋ねていました。

しかし、親切な方がすぐに「ムーバーンイープン」と回答していただいたので、「村」という単語を理解できました。

言語の面白さってこういう生で実際に使う場面なんだろうなあと感じました。

引きこもってネットで先生と話してるだけなので、なかなかコミュニケーションの面白さに触れることがないのですが、ネイティブ言語以外で人とコミュニケーションするのは楽しいですね。

たまに片言で質問するとイラッとして返事されたりしますが、私も日本にいる時はそんな感じで外国の人と接していましたので、あかん奴だったなあと思いますね。

少し脱線しましたが、道を尋ねた皆さん本当に親切に笑顔で答えてくれます。

笑顔と丁寧な言葉遣いは大事ですね。

おかげ様で地図がなくても日本人街を突き止めることができました。

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「街」というくらいですので、比較的広範囲に存在しているのかと思いましたが、日本人街「跡地」ということで小さな敷地の中に資料館がいくつかあるのみでした。また場所も周囲には何もないような静かなところにあります。

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当時は船が主たる交通手段だったわけですから、川沿いにあるのは当然なのですが、自転車で行くと少し遠く感じるかもしれません。

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ここが日本人街の港だったのでしょうね。

映像や資料を見ていて面白かったのは、当時の日本人の数は1000〜1500人程度で、日本から流れてきた理由が、豊臣秀吉のおこなったキリスト教弾圧が理由だということです。

1000〜1500人って当時はどうなのか分かりませんが、規模としては本当にムーバーン(村)という感じですね。

そのうちの多くはキリシタンだったわけですからね。

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時間的にも自転車を返却しなければならない時間が迫って来ましたので、最後は再び橋を横断し自転車を返却に行きました。

最後の観光ポイントが川よりも東の、駅に近いところにあるのであれば、自転車は駅の前にあるレンタル屋さんで借りたほうが良いかもしれませんね。

帰路も列車で帰りますので、先ほど横断した川をボートで戻りアユタヤ駅へ向かいました。

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しかしどこの国でも言えることですが、観光が重要な産業の都市というのはやはり貧しさが目立ちますね。

いや、観光が重要かどうかは関係ないのかもしれませんが。

恐らくアユタヤも格差が顕著なのではないかと思います。

自転車で廻ってると地元の人の生活を間近で見れる(見れているような気がする)わけですが、1つ面白かったのがアユタヤには人口に比してムスリムの人が多いなあと思ったことですね。

そして、これは私の偏見かもしれませんが、ムスリムの人のほうが良い暮らしをしているなあという印象を受けました。まあ大きな家に住んでたりするというだけですが。

なんでだろうなと思ってたら、それも歴史研究センターでヒントを得られたような気がします。

アユタヤには、ムスリム貴族が一大勢力となっていた時期があるみたいですね。

その勢力をギリシャ人で宰相まで登り詰めた人が一掃したという記述がありました。

アユタヤにはムスリムの人(国名は忘れました)やイギリス人、フランス人、ポルトガル人、中国人、日本人など多くの国の人たちが交易を通して住み着いていたようです。

もともとアユタヤは人口が少なかったために、戦争や移民を奨励することで人口を増やす必要があったという記述もありました。

逆に言えば国や人種を問わず要職に付ける機会があったということですから、アユタヤの統治はそれなりに先進的なものだったのかもしれないですね。

ムスリムの人が多いのも恐らくその名残なんだろうなあと思いながら自転車を走らせていました。

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旅のまとめ

久しぶりにアクティブに動いてみましたが、なかなか楽しいですね。

普段頭を使う仕事をしていることが多いのですが、恐らく向いているのは体を動かす作業なんだろうなあと思います。

これで人当たりの良い人間になれれば最高なんですが、持って生まれた頑固な性格はどうしようもないですね。

年齢を経るごとに傲慢さは加速していきますが、まだまだ人と関わって生きていきたいなあと思いますね。

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